熱気球『陽炎II世』誕生は、長嶋が引退した日

夏休みもそろそろ終わりですね。今年の夏は、いかがでしたか?暑い日が続いたかと思えば、一転涼しくなって、寒く感じるくらいです。
さて、いよいよ28日に大船渡でワンダーグローブの気球をあげることになりました。地元の人達にとって、少しでも気持ちが晴れれば良いのですが、我々の独りよがりだけにはならない様に気をつけます。子供達が少しでも笑顔になればと思います。問題は、天気。遠く佐賀県からも駆けつけてくれる気球仲間がいるのですから、是非とも成功させたいものです。
ところで、我々が熱気球を作ったのは、今から約35年程前のことです。ジャイアンツの長嶋が、「我が巨人軍は永久に不滅です」と言った日が、気球の球皮が出来上がった日だったと記憶しています。当時、中央大学の多摩キャンパスには、まだ建物は無く、あるのはプレハブの小屋だけでした。中大生ならみんな知っている、今の図書間の前のペデストリアンデッキには、いくつかのプレハブの建物がたっていました。そのプレハブの中は、真夏には40度を簡単に超えてしまうので、少し涼しくなる夕方から、ミシンを踏み始めたことを思い出します。五時には、カラスが帰ってくるし、五時半には、蚊が襲って来たことを覚えています。そんな中で、熱気球は制作されていったのです。そうそう、一雨降るごとに、カラスと蚊の時間が変わって行ったのも覚えています。